趣味・企画とか何か?

映画、アニメ、登山とか

ボランティアと収益構造

ボランティアについて、PTAや町内会を中心に「不要論」の意見が多くを占める世の中になっている。

このこと自体は理解はできる、組織の硬直化や非効率化など例を挙げれば枚挙にいとまがない。

 

おせっかいになるボランティア

以前にボランティアのマネジメントに関する記事を書いた。

 

postplan.hatenablog.jp

 

ボランティアは自発性重視、仕事にならないことは、仕事にしない。この考えが大原則である。

 

blogos.com

 ぼくが言いたいことは、かんたんに言えば「PTAは必要かどうか」という問題と、「PTAは任意か強制か」という問題を分けて議論せよ、ということ。それだけ。

 PTAが任意のボランティアであるという原則を承認するなら、それがどんなにくだらないことをやっている団体であっても、「廃止せよ」などという主張には、まったく道理はない。

 「任意のボランティア団体」を「廃止せよ」というのはイコール「禁止せよ」と同じことである。結社の自由をふみにじる行為だ。

間違った認識を持ってしまいがちであるが、任意のボランティア団体がある種の「おせっかい」な状態になる可能性もある。

ボランティアの参加者は活動理念に共感ができるかできないかを判断し、参加するか不参加か決める事しかできない。ボランティアの参加者は世のため人のためになる活動を目指す場合が多いが、本当に世の中のためになっているのかどうか検証するすべが少なかったりする。

 

ボランティアと収益化

このことから考えて、ボランティアであっても収益化を常に試みる事が必要なのかもしれない。収益は持続可能、拡大の指標にもなりえるし、会社としての事業の場合は分配して社会に還元することも可能。

 

お金を得る=お金を払う人がいる=事業そのものに価値を見出している人がいる
ということがわかる。

 

無償ボランティアでは相手が必要と思っていなくても、事業の継続は可能であるが、企業であれば金銭の授受が必ず必要なため、不要なサービスは駆逐される。

これがボランティアにかけてしまいがちな価値観である。

 

お金以外の価値観を重視する

前述の事と矛盾するようであるが、お金の収益のみを重視するのでも、お金以外の価値観のみを重視するのでもない。
両方の価値観を満たすの事は可能。むしろ、両方の価値観を満たす社会になっている。

収益重視をするあまり、情報を改善したり、だましたりする犯罪行為を行う企業は存続できない時代である。内部告発や噂の拡散。
表面的であれ、実質的であれ、違法企業が存在しにくい社会になっているのは確実である。

収益に繋がらなさそうな価値観を持ち続けている限り、お金以外の結びつきによって事業が継続できることがある。

要は、お金とそれ以外の価値観を重視することが重要であり、現在、あまりにもお金の価値を軽視しがちなボランティアも多いため、改めて収益化に関して見直す必要があるのかもしれない。