ボランティアは奉仕者ではない
ボランティアをよく奉仕者として表現することがある。もしくは、無償で何かする人というイメージもある。
実際にボランティア活動をされている人の方が、そのようなイメージを持つ人が多いのでもう一度ボランティアについて考えてみる。
ボランティアについての記事
本日の「教科書に載せたい #逃げ恥 名セリフ」
— たられば (@tarareba722) 2016年12月13日
「いいですか皆さん。人の善意につけ込んで労働力をタダで使おうとする。それは搾取です。例えば友達だから、勉強になるから、これもあなたのためだから、などと言って正当な賃金を払わない。このような【やりがい搾取】を見過ごしてはなりません」
ボランタリズムは、自発性を前提としている。他者からの強制になったとたんに、それは、ただの搾取になる。
そもそも、強制されてボランティアに来た人によるアウトプットの質は低い…ということ。他の誰かに強制されて来たひとで構成されるNPOは成果を上げられないだから、個人側だけでなく、組織側(搾取する側)にも「やりがい搾取」はなんのメリットもない。成果でないから。のではないかなぁ、、と。根拠となるデータでもあったらいいのになぁ。
”ボランティア”の語源は、ラテン語の「ボランタス(Voluntas):自由意思」、フランス語の「ボランティ(Volunte):喜びの精神」、英語の名詞では「ボランティア(Volunteer):志願兵」、動詞では「自発的に申し出る」という意味です。日本では、自分の意思で自発的に行なう社会参加活動のことをさしています。ボランティア活動の主な原則は、次の4つの原則にまとめることができます。
要点としてはボランティアは自発性が最も重要な条件であり、活動に対して自発的ではない人はボランティアとは言えない。
PTAのようにくじ引きで決められたボランティア組織なんてものはあり得ないことがわかる。
また、NPOなどの非営利組織では利益を出してはいけないという誤解もかなり存在している。
NPOは利益を分配することが否定されるのであって、利益が生じることを否定していない。要するに、株式会社で発生した利益は株主などに配当できるが、NPOの活動によって生まれた利益は、次年度の活動に使用することが条件になっている。
実際はNPOであっても株式会社であっても活動の損益計算は実は同じである部分が多い。
私は子供の教育に関係するボランティア組織に入っているのだが、この観点を忘れて
「我々ボランティアは子供のために奉仕しなくてはいけない。」
「ボランティアのための組織ではない。子供のためになる活動をしなければならない。」
というような言葉が飛び交い、色々な役割が強制的に作られ、強制的に仕事が与えられる。
言い換えればこの問題がわかりやすくなる。
「ボランティア」を「社員」に、「子供」を「お客様」に変えると、
「我々社員はお客様のために奉仕しなくてはいけない。」
「社員のための組織ではない。お客様のためになる活動をしなければならない。」
改めて言う必要もなく、ブラック企業の語り口になる。実際にボランティアに時給が支払われることはほとんどない。
必ず「子供のため」という言葉が飛び出し、内容について詳しく精査のできない思考停止状態になる。特に、成果の見られない前年度の踏襲のイベントが「子供のため」と主張して改革できないのは本当に良くない。
最低でも、ほかのボランティアに強制したり、場の空気の圧力などで押し付けたりすることがないように考えることが大切だ。
改めて、ボランティアのマネジメントに気を配る必要がある。
要点としては、
- 活動に参加するボランティアのニーズを十分にくみ取ること
- 活動内容の参加不参加は限りなく自由であること
- ニーズのない活動は速やかに中止すること
以上の点を考えなくてはならない。
ボランティアにおいて、活動のクオリティーを上げる事と活動を継続することは相反する部分が生じる場面が多くみられる。だが、ボランティアで責任のある立場の者はその2つを両立させるにはどうするか考えることも重要だ。