ボランティアの自己満足性の議論
ボランティアは社会貢献しなくてはならない病
ボランティアを行うにあたって、必ず社会貢献しなくてはならないといった言説が支配されているが、果たして本当にそうだろうか。
連続でボランティアについての意見を述べているが 、終始一貫して「ボランティアの自発性」を中心に意見をまとめてきた。
その議論の上で、改めてボランティアに社会貢献は必要なのか考える必要がある。
ボランティアを始める動機の多くの部分で、誰かのために行う社会貢献が挙げられる。
他者のための活動という点については特に悪いということはできないし、本当にしっかりとした動機があるのであれば素晴らしい。
だが、誰かのためにならなくてはならないという強迫観念にとらわれながら活動するのはすごく危険である。
ボランティア団体それぞれに特色があり、中心となる理念も様々であり、本来であればボランティアを行う人々はそれぞれの考える理念を共有しながら活動に参加することが望ましい。
理念と実際の活動とボランティアを行う人の希望が一致していればよいサイクルを作ることができるが、どのような組織でも理念とのギャップが生まれがちである。
ボランティア団体の持つ社会貢献と参加者の社会貢献の理想像にギャップが生じれば、一気に活動が困難になる。
また、「社会貢献をしているのであるから世の中は良くなるはず。」だとか「社会貢献をしているから他者による感謝を受けるはず」というような外部に依存した考えを持ってしまえば、環境の変化や他者の存在によって自分のモチベーションをゆだねることになる。
思っていたより社会が変わらなかったり、他人から評価を受けなくなったときに活動の継続が困難になってしまう可能性が一気に高くなる。
ボランティアは自己満足でもいい。という考え
ボランティアによって生じる結果に期待を持つことは大切であるが、ボランティア参加者自体は活動そのものに価値を見出すことも重要である。
言い換えれば、ボランティアの人が強制されずにやりたいことをやるような仕組みになれば、環境や他人の影響を受けずにボランティア活動の継続が可能である。
ボランティアを受けている人が迷惑に感じるレベルの活動であれば問題であるが、そうでなければボランティアする人は多少のおせっかいであっても良いのではないだろうか。
重要なのはボランティア参加者が継続して活動を続けてくれることであり、多少の自己満足(内発的動機付け)があっても許容する必要があるのかもしれない。
もちろん、他者の迷惑になるレベルの自己満足にならないように評価する仕組みの両方も重要であり、そのバランスを考えなくてはならない。